いじめの後遺症
こんばんわ
いつもお読みいただきありがとうございます
社会不安障害の自分〜冷汗奮戦記〜でも書かせていただきましたが、私は中学生時代、もう30年以上前の話になりますが、同級生からのいじめにあっていました
小学生の頃は親しい友達もいて、わりと活発な少年だったと自負していますが、中学に進学すると「ネクラ」「むっつりスケベ」とのレッテルを貼られ、無口で笑うことすら躊躇うようになっていました
クラブ活動も休みがちとなり、たまに参加すると罵声を浴びせられ、抑圧された環境の中でますます足が遠のきました
また、花火大会に行こうと出かけた際駅でいじめていた側の同級生に会い、トイレに連れ込まれて顔を殴られたことも
長い年月が経ち記憶は途切れているものの、断片的ではありますが、今もよく覚えています
ある時、新聞のお悔やみ欄で私を殴った同級生が死亡した記事が載せられていました
ことも直さず喜び勇んだのは言うまでもありません
倫理的にこの感情はどうなんだと言われると、よくない感情だとは思います
しかし、いじめられた側の惨めな、憤りを隠せない私の感情は暴力を受けたその時と何も変わらず、ただ素直に喜びが湧いてきたのです
このとき受けた心の傷、私はそれ以後、現在もですが、人とうまく付き合うことが出来ません
一対一ならまだ良いのですが、複数となると仲間に入るのを躊躇い、入ったとしても何を話せばよいのか、振られたらどう返したらいいのか、そのことで頭の中がいっぱいになって、緊張も加わり早くそこから抜け出したくなってしまいます
ようやく切り出した言葉、また笑ったりしたとき、よく「〇〇さんが笑った」などと言われます
相手に悪意はないのでしょうが、いじめられていたころに同じことを言われた経験からその当時の記憶がフラッシュバックします
冷や汗が流れ、でも汗を拭うことも出来ず(汗を掻いている自分を知られたくない)、そして緊張はピークに達します
私には友達と呼べる人はいません
きっと自分から排除してしまっているのではないかと思います
煩わしさと拒否反応
今では、自分から交友関係を結ぼうという気持ちまで萎えてしまいました
家族と極々親しい人、それだけでいいと思っています
周囲の会話を聞いていると「昨日、友達がね・・・」とか「友達と〇〇に行ってきたの」など普通に友達というフレーズが出てきます
こんな自分でもやっぱり友達はほしいです、本当は
もっと積極的になれればと思いますが・・疲れました
今回、お題を「いじめの後遺症」としました
とある記事に体験文が載っていて、共通点に安堵し、そして共感です
何度かに分け、私の現在進行形の体験を綴らせていただき、同じ悩みで苦しんでいる方々の安心につながれば、そう思っています
お付き合いいただき、ありがとうございました