いじめの後遺症

こんばんは

お読みいただきありがとうございます

 

「いじめの後遺症」と題し、前回からブログを書いています

人は字の通り、人が人を支えあって、そして生きています

生きていれば必ず人との関わりが発生します

学校生活でも職場でも、そして家庭でも

私は人との関わりに、2倍、3倍と力を要します

誰でも少なからず気遣いをしながら人と付き合っているとは思います

 

人と付き合うには、言葉が必要です

その言葉を発するとき、詰まる、どもる(吃音ですね)となればどうでしょう

テレビでは「噛んだ」と言われ、突っ込まれる対象になります

これを聞いたとき、無性に腹が立ちます

なんと、無神経なのかと

ただ、話す商売だとすると仕方がないのかもしれませんが

 

私は人付き合いが苦手です、恐怖でもあり、煩わしさでもあります

挨拶、これも大事なコミュニケーションの一つです

1日は挨拶から始まります

1日の始まりである挨拶で詰まったたらどうでしょう

(語弊があったから申し訳ありません)普通の人なら何気もなく通り過ぎていく場面でしょう

しかし、自分に置き換えてみるとただ事ではありません

大げさと言われるかもしれませんが、一度失敗するとその言葉を発するのが怖くなります

ちょっと言いにくかったとしても、顛末がわかるのかその言葉を発しようとする際緊張が走ります

 

人と会話するとき、それぞれタイミングを図りながら話します

人が話しているのに、わざわざ被せて話しませんよね

「私の話をちゃんと聞いてるの!」となります

なので、ある程度の間が空く分、自分の準備時間にもなりますので、自分のタイミングで話し出すことが出来、またどの言葉(自分が言える言葉)で切り出そうかなと調整も出来ます

 

一番怖いのは電話です

電話を架ける、電話に出る

学生時代はアルバイトでもしていない限り、あまり遭遇しない場面だと思いますが、社会に出るとそうはいきません

会社同士のやりとり、一般市民とのやりとり、様々です

友人とであれば、半ば適当でも大丈夫ですが、仕事となるとそうはいきません

相手の顔がわからない分、電話の対応だけでことを進めなければなりません

そして、顔がわからない分、表情も伝わらないわけですから、言葉一つで相手の印象は180度変わります

一気に契約解消なんてことも

 

電話に出るとき、自分の会社名(事業者名)そして名前を名乗ります

また、名刺交換や会議の席で自己紹介する時もそうですよね

つまり、勤めている限り、日常とてもよく使うフレーズなのです

私は必ずと言ってよいほど、このフレーズの出だし(頭の部分など)が言えなくなります

最初は大丈夫だ!と安心していても、つまずいてしまうともうトラウマの始まりです

やっぱりか、という経験を幾度もしてきました

だんだんと自分が話せる語彙が少なくなっています

私は、今その中にいます

とても怖いです

周りは、皆何食わぬ顔して出来ているのに

 

電話に出て、言葉が発せられるまで数秒かかります

当然相手側としたら不思議に感じます

掛け間違えたのではないかと

 

また、言おう、言おうとして早口になったりもして「ゆっくり話してください」と言われたときもありました

 

こうした失敗体験は、忘れようとしても消えません

ある時、フラッシュバックのように現れます

 

言葉が発せられない、詰まらせてしまう、滑舌がうまくいかない

相手からよく「エッ!」て言われることがあります

聞き取れなかったのでしょうね

私にとっては、とてもショックです

うまく話せなかったのだと

なので、私はあえて聞き取れなくても「エ!」と言わないようにしています

 

このような現実の中で生きています

このような中では、進んでなんか人と関わりたくなくなりますよね

話さなくてもよい人生、すごく憧れます

 

いじめの後遺症

相手の顔色を伺いつつ、話せば揶揄われ、自然に無口になる

人が嫌になる、人から離れていく、友達もいなくなる

 

これが全てとは言いません

自分だって友達はいました

気の合う先輩もいました

自分を理解してくれる人もいます

一人ではありません

 

自分も人間です

当たり前の生活を送りたいです

面白ければ、自然に笑いたいです

仕事に没頭したいです

 

全てとは言えないかもわかりませんが、いじめの後遺症から来る、いじめられた人の未来だと

何十年経っても、どういう形であれ残るもの

今でも自分をいじめた者の顔、名前は忘れません

他のクラスメートは忘れても

 

これが「いじめ」です

 

ありがとうございました